小田原市栢山に百姓利右衛門の長男として生まれる。14歳で父利右衛門が死去、2年後には母よしも亡くなり、二宮金次郎は伯父二宮万兵衛の家に預けられた。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功する。この頃までに、身長が6尺(約180センチ強)を超えていたという伝承ガある。
生家の再興に成功すると、二宮金次郎は地主経営を行いながら小田原に出て、武家奉公人として働いた。奉公先の小田原藩服部家で、その才を買われて服部家の財政建て直しを頼まれ、見事に成功させた。
その才能を見込まれ、下野国桜町領(現在の栃木県二宮町)の仕法を任せられる。後に東郷陣屋(栃木県真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い成果を上げる。その方法は報徳仕法として他の範となる。その後、日光山領の仕法を行う。栃木県今市村(現在の日光市)にて没。
二宮金次郎の仕法は他の農村の規範となり、弟子の大友亀太郎は旧幕府下で札幌村の開拓を指導。亀太郎は札幌開拓の始祖と呼ばれる。
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